特集・コラム
私たちは日々の生活の中で、無意識に「歩く」という動作を繰り返しています。しかし、その一歩一歩を支える股関節に痛みが生じると、人生の質(QOL)は大きく損なわれてしまいます。「変形性股関節症」は、決して珍しい病気ではありません。しかし、その痛みや不安を一人で抱え込み、趣味や外出をあきらめてしまうのは非常にもったいないことです。本稿では、股関節という関節の重要性から、私たちが日々の診療において大切にしている治療の考え方や選択肢について、お伝えします。
股関節という「精巧なメカニズム」
股関節は、体の中で最も大きな「球関節」です。骨盤側にある「寛骨臼(かんこつきゅう)」という受け皿に、太ももの骨の先端である「大腿骨頭(だいたいこっとう)」がぴたりとはまり込むような構造をしています。この連結部分を覆っているのが、数ミリの厚さを持つ「軟骨」です。軟骨は非常に滑らかな表面を持ち、衝撃を和らげる優れた弾力性を備えています。この軟骨というクッションのおかげで、私たちは自分の体重の数倍という負荷がかかる歩行や階段昇降を、痛みなくスムーズに行うことができるのです。
なぜ「痛み」が始まるのか
変形性股関節症とは、この軟骨が長い年月の間に摩耗し、関節が変形していく病気です。 特に日本人の場合、生まれつき受け皿が少し浅い「寛骨臼形成不全(かんこつきゅうけいせいふぜん)」が原因であることが少なくありません。小さな面積で体重を支えなければならないため、どうしても軟骨の一部に負担が集中し、すり減りやすくなるのです。
初期の段階では、動き始めの違和感や、長く歩いた後の重だるさ程度かもしれません。しかし、軟骨の摩耗が進むと、関節内で炎症が起きたり、骨同士が直接こすれ合って「骨棘(こつきょく)」というトゲのような突起ができたりします。こうなると、痛みは慢性化し、靴下を履く、爪を切るといった日常の何気ない動作すら苦痛に変わってしまいます。
「自分の関節」を守る選択、骨切り術(こつきりじゅつ)
進行を遅らせるためのリハビリや薬物療法(保存療法)で十分な効果が得られない場合、外科的な治療が検討されます。その際、比較的若年(40代〜50代など)で、軟骨がまだ一定以上残っている患者さんに検討されるのが「骨切り術」です。
これは、自身の骨を切って移動させ、股関節の「かみ合わせ」を力学的に改善する手術です。 例えば、浅い受け皿をずらして骨頭を深く覆うように作り直すことで、一点に集中していた体重の負担を分散させます。この手術の最大のメリットは、何よりも「自分自身の生きた関節」を残せる点にあります。 手術後のリハビリには、骨がつくまでの根気と一定の時間を要しますが、成功すれば自分の骨が再び癒合し、将来的に激しいスポーツや農作業など、活動性の高い生活を維持できる可能性が大きく広がります。
日常を取り戻す、人工股関節置換術(THA)
一方で、軟骨がほとんど消失し、骨の変形が著しい末期の状態にある方にとって、有力な手段となるのが「人工股関節置換術」です。これは、傷んだ関節をセラミックやポリエチレン、金属で作られた人工の関節に置き換える手術です。
「人工物を体に入れる」ことに抵抗を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、人工股関節の技術は長い歴史の中で磨かれ、非常に安定した成績を収めるようになっています。
- ● 痛みの改善
手術によって、長年悩まされていた「鋭い痛み」から解放される方がほとんどです。 - ● 安定した耐久性
材料の改良により、現在では20年〜30年といった長期間にわたって使い続けられることが期待できるようになりました。 - ● 着実な回復
筋肉の負担を抑えた術式の普及により、出血量もコントロールしやすくなり、回復の歩みも以前より早まっています。多くの場合、手術の翌日から歩行訓練を始めることができます。
「もう一度、家族と旅行に行きたい」「自分の足で買い物に行きたい」── そんな切実な願いを叶えるための、着実で信頼性の高い治療法と言えます。
チームで支える「リハビリテーション」
手術はあくまで「土台」を作る作業に過ぎません。その後の生活を輝かせるのは、術後のリハビリテーションに他なりません。 長年の痛みで弱ってしまった筋肉を呼び戻し、正しい歩行バランスを再学習する必要があります。私たち整形外科医だけでなく、理学療法士、看護師、そして何より患者さんご自身がチームとなって取り組むことで、股関節は再び力強い推進力を取り戻します。
これからも自分らしく歩み続けるために
股関節の痛みは、単なる「加齢による、我慢すべきもの」ではありません。 診察室で、「もっと早く相談に来ればよかった」とおっしゃる患者さんの笑顔を見るたびに、私たちは早期診断の大切さを痛感します。
医療の役割は、決して特別なことだけではありません。その方がその方らしく、ご自身の足で日々の生活を送り続けられるよう、手助けをすることだと考えています。 もし、階段の上り下りで立ち止まることが増えたり、歩ける距離が短くなったりしているのなら、それは体が発している大切なサインかもしれません。
一人で悩まずに、まずは気軽な気持ちで私たちにご相談ください。それぞれの状況に合わせた、無理のない改善方法を一緒に考えていきましょう。 これからも皆さんが、住み慣れたこの街で元気に過ごしていただけるよう、私たちは誠意を持って日々の診療にあたってまいります。
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